長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

信玄塚に程近いこの池も、戦国時代の哀しい出来事を、その名前にきざんで伝えてきた。
村人も近隣のものも、池の名が天正三年の戦いに由来するであろうことは、誰もがよく承知しているが、それ以外のことはよく分からないし、知ろうとすることもタブーに近かった。
文献としては、幕末、吉田の夏目可敬が記した『参河国名所図絵』にでてくる。

首洗ひの池 信玄塚の右手に在。長篠合戦戦死の首を、此の池にて洗ひしとぞ。

この文のすぐ近くに、信玄周辺の絵図が描かれており、そこには池の説明に[刀洗池]としてある。
昔から、「首洗池」の水は赤く濁って澄んだことがないが、それは亡くなった人の怨念が込められているためだといわれてきた。
たまたまこの池に群生していた「ヒシ(水草)」の実を、子どもたちは角のある鬼に見立て戦国の昔を偲んだりした。
池は灌漑用にかなり早くからできていたようであるが、時期は不明。

首洗池

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