長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

設楽原の決戦が「柵と鉄炮」の戦いであったことが、両軍の記録にはっきりと記されている。
『信長公記』…「陣取の前に、馬塞の為柵を付させられ…鉄炮を以て散々に打立て」
『甲陽軍艦』…「柵の木三重まであれば、城攻の如くにして、大将ども尽鉄炮にあたり」
柵で守りながら攻めた織田・徳川連合軍に対し、武田軍は「城攻めの如く」と大苦戦であったという。
柵がどこへ作られたかは、地元文献の『長篠日記』が記している。
『長篠日記』…「川路連吾ノ橋ヨリ濱田ト云所マデ、樋橋ヨリ大宮辺マデ付タリ」
ここから、主戦場が連吾川周辺であることがわかる。

馬防柵再現地

PAGE TOP