長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

決戦の前日、鳶ヶ巣奇襲を目指して豊川の広瀬を渡った設楽貞通隊は、川路対岸の塩沢で本隊と別れ、川沿いに進んだ。本隊進路とは反対側の舟着山が豊川に迫る日吉の樋田に、貞通は陣をかまえ、二十一日の決戦に備えた。一つは、本隊の退路確保であり、一つは川沿いに南下する武田隊の阻止である。
翌朝、地の利を活かして鳶ヶ巣から敗走する武田軍の退路を断った設楽貞通は、鉄炮の戦いの「設楽原古戦場」に最も縁の深い人物なのである。戦国期の一級資料である『松平記』に、家康方武将「野田 菅沼新八、築手 奥平九八、志たら 設楽甚三郎」と記されている。

設楽越中守陣地の石標

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