長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

古戦場の真ん中で、四百三十余年途切れることなく続けられてきた戦国の供養である。
毎年、八月十五日のお盆の夜、この地で果てた無名戦士のために、竹広の人々は「火おんどり」を舞う。
…設楽原の決戦から一か月ほど過ぎた頃、戦没者を葬った信玄塚周辺から多くの蜂が出て、近くの人々を刺したという。この信玄塚は、清井田を経る遠州道と宮脇を経る信州道との分岐点のため、街道を行く人馬も通行ができなくなった。
これは、戦没将士の霊が迷っているのだろうと考えた村人は、勝楽寺に頼んで大施餓鬼を行い、夜は松明を焚いて供養につとめたところ、蜂の大群は姿を消した。
以来、村人はお盆の夜、周囲一㍍、高さ二㍍を越す〝たいまつ〟を振りながら
「モッセモッセ、ヤーレモッセ…」と唱えて供養をしている。
「モッセ」は、念仏を「申せ」と松明を「燃せ」の意味をかけている。

竹広の火おんどり

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