長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

設楽原で倒れた戦国将士を祀る信玄塚は、当時の街道の交差点に位置する。
街道は・東海道の御油の宿から本宮山系の山すそを通って信州善光寺へ向かう信州往還・塚の台地を南におりて有海原を抜ける秋葉街道である。
信玄塚が出来てまもなくのこと、このあたりに蜂の大群が出て、街道を通る人や馬を困らせたという。
里の人々は、「武田軍の亡くなった兵士の霊魂が蜂になって彷徨っている」と考え、勝楽寺の玄賀和尚と相談して大施餓鬼を営んだ。
夜には沢山の松明をたいて供養をすると、いつのまにか蜂の大群は姿を消してしまった。
村人の松明の火は、蜂対策であるとともに戦場の衛生対策としてもすぐれていたのであろう。
現在の「火おんどり」(お盆の村行事)は、これが起源と伝えている。

信玄塚の道標

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