長篠・設楽原古戦場 いろはかるた巡り

設楽原へ布陣した織田・徳川連合軍の動きに対して、武田軍は十八日軍議を開いた。
滝川(寒狭川)を越えて「決戦」か「一時後退」か、二つに割れた声は、勝頼の決断で決戦と決まった。
軍議を終えた数人の宿将が、近くの水場で別れの盃を交わしたという訣盃伝承の場所には、いくつかの説がある。
1 清井田説(八束穂の清井田集落の西斜面)
大道寺友山の『落穂集』に「四人ノ家老共ハ、清井田ト申ス所ニ至リ清水湧キ出デ流レル池ノホトリニテ・・・一所ニ集マリ・・・清水ヲ汲ミ寄セ・・・飲ム」とある。
この場所が二か所あるが、水の道はどちらも強い。
(1)「清水寺(菅野氏宅の旧称)」の自然池で、清井田戦地本陣に近い。
(2)「清水ケ入」は、山田の湧き水である。
古い山茶碗二個発見の場所。

2 大通寺説(長篠城の北正面)
これは、『長篠日記』(阿部四郎兵衛)の「大通寺山ニ清水有、是ヲ汲ミ・・・水酒盛ヲシ・・・岩代川(滝川)ヲ越タリ」からである。
暑い夏のこと、何回かの訣盃があったというのが実際であろうが、「清井田」が清泉の里であることは、
太田白雪が『続柳陰』に明記している。

清水寺跡の自然池

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